「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」 雑感メモ3_何かおかしいような


3回目を懲りもせず、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破を見る@ミラノ。また拍手で終わるという、いまだにお祭り騒ぎでした。


でもしかし、ヱヴァンゲリヲン3回目ということで少し冷静にみると、これはあまりによく話が進みすぎではないか、などと邪推してしまうわけです。最後にカヲルの放つ槍の意味を、もっと重く受け取るべきなのかもしれないと思うわけです。ぽかぽかendなんてないんだよ^^。


「他人」の象徴だったアスカが早々にいなくなり、トウジパイロットとして選出されず、レイを救出し融合するなどなど、結局「破」はシンジの望む世界としての「やり直し」であり、一見成長したかのように見えるシンジの姿は、実は大いなる妄想にすぎないのではないか。(旧作では、結局アスカ(他者)と生きていくことを消極的に、あるいは仕方なく選択し(僕はそう思ったけど)、トウジは傷つき、レイも消失したわけで。)また、「YOU CAN ADVANCE.」 でいいものをわざわざ「(NOT)」とつけるあたりも、一見前進したかのように見えるのは、実は虚構にすぎないということを、暗に示しているかもしれない。旧作の記憶を残しているであろうカヲルが、槍で初号機を貫くことで、その妄想世界に待ったをかけているように見えなくもないんですよね。カヲル「妄想乙」。笑


大体、カヲルが前作の記憶があるらしいという設定からして、「破」という作品を、旧作と相対化して見ないわけにはいかない。今回の「破」もシンジにとっての可能性の一つに過ぎないのではないか。次回作が終わってみれば、再びLCLの海の中で漂うシンジがいる気がしてならないんですが。あるいは「EOE」と「序・破」、これらの世界を俯瞰するような、つまり今度こそ本当にループを脱するような、新たな世界=現実≒実写?が提示されるのではないか。って俺の妄想が止まらないという笑。