スカイ・クロラ

スカイ・クロラを見た。たしかにところどころやや冗長に感じるかもしれないが、非常によかった。
もともと森博嗣の「スカイ・クロラ」シリーズを原作として、脚本が書かれ映画化されたことを考えると、脚本に起こす段階で微妙になったのではという印象はたしかにある。冗長であること感じる理由は、おそらく主人公らの心象風景を映像に起こす試みによるんだろう。スカイ・クロラだけは以前に読んだことがあるが、緻密な機械描写と主人公の独白が印象的だった。機械に関する描写は、映画ではCGがふんだんに使われており、目まぐるしい展開と、時折のスローモーションを使い戦闘描写として表現されている。(機械整備士である笹倉には新たな役割が与えられていたので、意外だった。まさに「ママ」である。)個人的見どころは、随所にみられた「あの」独白や彼らのおかれている状況、それらをどのように表現するかだったが、押井監督はこれを表現しようと試みている部分が多くみられたし、僕自身はそのほとんどが成功しているように思える。
それは青い空に浮かぶ雲であり、人物の大きさやその所作であり、会話の少ない対話や、煙草や・ミートパイであった。終盤のミツヤのセリフや、エンドロール後のカンナミとスイト会話は、やや説明的すぎる気がしたが。カンナミは以前に機体を使用していた人物について執拗に探ろうとする。また、以前に食べたことがあるような味だ、というカンナミをトキノらはハハと笑う。そして、カンナミの持つ煙草の煙をいい匂いと口にするスイト。後半ではスイト自身も煙草を持っているはずなのに、カンナミに煙草を求めることが多くなる。スイトがティーチャーに撃墜され、重症に陥ったと思われた時も。煙草を重層的に用いることで、カンナミとスイトの関係を、その過去も含め象徴的に表している。
あとティーチャーね。"I kill my father"なんて言っちゃうあたり、少しだけ興ざめな感じがあった。「大人になれないんじゃなくて、ならない。」的なことを言っている割に、その大人の男を殺しに行くというのはどうなのよと。「いつも通る道だからって景色は同じじゃない。それだけじゃいけないのか。それだけのことだからいけないのか。」内からあふれる情動を抑えきれないという感じだ。カンナミはそんなに熱い男だったのか。
一方で、スイトへ向けられた言葉「君は生きろ、何かを変えられるまで。」を忘れてはならない。この言葉から透けて見えるのは、諦観であり自殺である。ティーチャーに空で出会ったら生きては帰れないのだ。さらにそう考えると、スイトの特異性が自然に浮かび上がってくる。彼女はティーチャーと対峙しても無傷で帰って来た。永遠のループを繰り返すかのような世界で、彼女だけは「自分や他人の運命に干渉する」ことにが可能であり、この世界を変える可能性を孕んでいるような存在として提示されている。
結局、永遠に繰り返されるであろう諦観、敗北のループを受け入れつつ、それでも挑戦し続け、いつか得られるかもしれない(得られないかもしれない、それはわからないが、たぶん得られない。)勝利、そのわずかばかりの希望をもって生きろといったことなのだろうか。メッセージとしては決してポジティブなものではないが、現代の若者にとって必要なのは、少なくとも元気はつらつオルナミンCではないと押井は考えたのだろう。
声優と音楽。主人公となる二人には違和感あるような、ないような。音楽もなんというか、いいんだけど、なんというか。ただミス・ハラウェイや谷原はさすがだ。