サカモトリュウイチとコバヤシヤスオの対談を聞きに、いや正確には単にサカモトリュウイチを見に行っただけだなんだけど、予想以上に面白い気分で会場を後にすることができた。ずっと昔に読んだ本を、大人になってからたまたま手にとり、読んでみたら意外に面白く熟読してしまったような気分で、今の自分にとって、自分が思っている以上に新鮮だったように思う(一部除く笑)。サカモトは「歌わ」ない。自己表現はある種の恥ずかしいことであると言い、彼は自分の感情や主張をつくったモノの中に積極的に混入させまいとしているようだった。しだいに減衰し周囲の雑音と溶け合っていくピアノの単音をおもしろいといい、また2つのフレーズをリピートしたモノ、その位相が少しずつずれることで生じる、作曲者の意図していない新たなメロディーを、そしてそのメロディーが生じることをおもしろいと話した。彼は静観し、そこで見つけた非作為的なモノが生み出す非作為的な「音楽」、それを自らの感性に従った編集を通じて自分の音楽にしているように思えた。人々が無意識としているモノを意識的に見出し、音楽として人々の意識下に立ち上がらせているような気がした。現代音楽ってこういうものなのだろうか、よくわからない。自分を抑制することで、今のサカモトリュウイチらしさが形成されてしまっているなんてねえ、面白い。以前sightだったか何だかで読んだ彼の考えは、当時の僕にとってあまり「面白い」内容でなかったため(確か日本の戦争責任についての誰だかとの対談だったような、詳細は覚えていないけど)、友人に誘われなければきっと行かなかっただろうな。