駅を出て、駐輪場に向かう。自転車の鍵を開けて、手袋を着ける。自転車を漕ぎ始めたあとで、買いたいものがあったことを思い出した。小銭を取るために再び手袋を着けなおさなければならない。少しばかり気が滅入った。気が滅入った後で、そんなことぐらいで気が滅入る自分に、うんざりした。
駅周辺には家路につく人々がそれなりに居たが、買い物を終えて、商店街を抜けるぐらいになるとほとんど誰もいなかった。道路を照らす信号機の点滅だけが、静止していない唯一のものに見えた。もちろん僕は自転車を漕いでいるわけで、周りの風景はすべて後方へ流れているようにも見て取れるのだけれど。


ふと思うこと。
そう簡単には会うことができないであろう、遠くにいる人間との思い出は美化されるということ。今この瞬間もまた、将来において懐古する対象となりうるということ。しかしながら、人は常に将来思い出となりうることを無意識のうちに選択して生きているように思えること。今までの生きてきた時間が連続的であると感じられるように、自分の記憶を自分自身で改変しているように感じること。自分らしきものが存在するに過ぎないのかもしれないということ。